2010年12月06日
Tori Amos "Sugar"
最も好きなアーティストの一人。
この人が作る曲は癖のある曲が多く好き嫌いは分かれるだろうけど、好きな人はとことん好きでマニアックな人が多い。
そしてこの人は多作なのだ。
約2~3年周期でアルバムを出す。
それだけだと特に多作とは言えないと思うが、アルバムからいくつもシングルをカットし、そこにアルバム未収録曲やライヴ・ヴァージョンを惜しげもなく収録する(特に90年代は凄かった)。
wikipediaを参照するとカップリング曲65曲、サントラ提供曲12曲とある。凄まじい数だ。
ファースト・アルバムにして傑作の『Little Earthquakes』からは5曲のシングルが切られ、カップリングに収録されたアルバム未収録曲は実に15曲(実際にはこれに加えライヴ・ヴァージョンも9曲ある)。
その内の1曲が紹介する"Sugar"。
初出はシングル"China"のカップリングで、今でもライヴの定番曲としてファンの人気も高い。
カップリング曲とは思えない質の高さで初めて聴いた時はまさに「目から鱗」。
オリジナル・ヴァージョンは軽い打ち込みのシンプルなアレンジで、一線を越えそうで越えないで終わる為Tori特有の毒っ気は薄い。
個人的に気に入っているのは99年に発売された『To Venus and Back』に収録された音源(1998年のツアーのサウンド・チェック時の録音との事)。
まるで別曲の様に生まれ変わり迫力のあるTori節が炸裂。
歌詞は相変わらず難解でタイトルでもある"Sugar"が何の比喩なのか不明だが、低音で攻める前半から後半の澄み渡る高音までToriの歌声が冴えまくっている。
そしてTori自身が奏でるピアノの音色も同様に素晴らしい。
この人が弾くピアノは楽器というよりはまるで生き物のようだ。
歌とピアノは別人が歌い演奏しているかのように複雑なのだけれど、実際にはどちらもTori本人の為、その一体感と迫力たるや鬼気迫るものがある。
ピアノと歌をここまで高いレベルでコントロールし感情として鳴らす事が出来る人は稀では無いだろうか。
オリジナル・ヴァージョンとライヴ・ヴァージョンでは、同曲でありながら「静と動」という対極の雰囲気が感じられ、ライヴ・ヴァージョンには「技術と感情」という同じく一見対極にある要素が同居している。
この人が作る曲は癖のある曲が多く好き嫌いは分かれるだろうけど、好きな人はとことん好きでマニアックな人が多い。
そしてこの人は多作なのだ。
約2~3年周期でアルバムを出す。
それだけだと特に多作とは言えないと思うが、アルバムからいくつもシングルをカットし、そこにアルバム未収録曲やライヴ・ヴァージョンを惜しげもなく収録する(特に90年代は凄かった)。
wikipediaを参照するとカップリング曲65曲、サントラ提供曲12曲とある。凄まじい数だ。
ファースト・アルバムにして傑作の『Little Earthquakes』からは5曲のシングルが切られ、カップリングに収録されたアルバム未収録曲は実に15曲(実際にはこれに加えライヴ・ヴァージョンも9曲ある)。
その内の1曲が紹介する"Sugar"。
初出はシングル"China"のカップリングで、今でもライヴの定番曲としてファンの人気も高い。
カップリング曲とは思えない質の高さで初めて聴いた時はまさに「目から鱗」。
オリジナル・ヴァージョンは軽い打ち込みのシンプルなアレンジで、一線を越えそうで越えないで終わる為Tori特有の毒っ気は薄い。
個人的に気に入っているのは99年に発売された『To Venus and Back』に収録された音源(1998年のツアーのサウンド・チェック時の録音との事)。
まるで別曲の様に生まれ変わり迫力のあるTori節が炸裂。
歌詞は相変わらず難解でタイトルでもある"Sugar"が何の比喩なのか不明だが、低音で攻める前半から後半の澄み渡る高音までToriの歌声が冴えまくっている。
そしてTori自身が奏でるピアノの音色も同様に素晴らしい。
この人が弾くピアノは楽器というよりはまるで生き物のようだ。
歌とピアノは別人が歌い演奏しているかのように複雑なのだけれど、実際にはどちらもTori本人の為、その一体感と迫力たるや鬼気迫るものがある。
ピアノと歌をここまで高いレベルでコントロールし感情として鳴らす事が出来る人は稀では無いだろうか。
オリジナル・ヴァージョンとライヴ・ヴァージョンでは、同曲でありながら「静と動」という対極の雰囲気が感じられ、ライヴ・ヴァージョンには「技術と感情」という同じく一見対極にある要素が同居している。
Posted by dana319 at 21:14│Comments(0)
│Tori Amos